怒涛の部屋探し・・・どん底とGroße Freude
もはや有名な話、ベルリンで部屋を見つけるのがいかに難しいかということ。
安住の地を見つけるまでのドラマ(?)を書いていきます。
1.渡独前
私のベルリンへ来た目的は仕事探しでした。しかし私はすでに知っていました、仕事があっても住民登録ができていないと労働許可とか滞在許可は降りないし、仕事がない人に部屋を貸してくれる人もいない。
そこで、お金はかさむが始めだけ、仕事を見つけるまでの間私は日本人向けのシェアハウスでお世話になることにしました。これならきっと頼れる人がオーナーだし(やはりこういうとき日本人でしかもそれを生業にしている人というのは信頼できます)、日本から確保できる!
そして私の仕事はできるだけ家から近いところであった方がいいものなので、西側のベルリンで気に入った店を訪ね回りました。そして、仕事をゲットしたわけです。
2.就職後
仕事柄、いつまでも何人もの人と過ごすには限界があるとわかっていました。なのでできるだけ少ない人数のWGへ移ることのしました。
しかし、シェアハウスを退去するまでに思った以上に部屋が見つからない、、、!
結局また違う日本人オーナーの場所でお世話になることに。。。
ここもまた親切なオーナーさんでしたが、少し家賃が高いので落ち着いたらまた出ることにしました。
3.サバイバルの始まり
仕事先の割と近くでいい部屋を見つけました。家賃は前より200ユーロも安い。オーナーさんはドイツ人のおばあちゃんで、私は若者よちおばあちゃんとの方がきっとうまくやっていけるのでw問題ないかと。
しかし・・・
引っ越し当日、全ての荷物を持ち、受け取っていた鍵を使い、自分の部屋へ入ったところ、そこには二人の若者が。
えーと、おばあちゃんの知り合いかな?
感じよく心がけて挨拶し、おばあちゃんにも挨拶を。すると信じられない言葉が。
ああ、新しい住居人のお友達かしら?
えーと・・・
おばあちゃんはかなりおばあちゃんなので若者たちに話を聞くことに。
そして、彼らは昨日おととい入居してきたという。
つまり、ダブルブッキング。
どうやってそんなことが起きたかはここでは書きませんが、私は自分が苦労してきた分、他人の安住の地を奪う気にはなれなかったのと、もうこういう状況と関わらない方がいいとわかっていたのと、いざとなったら頼れる友達もいたので、とりあえず黙って出ていきました。
4.友達の家で事件発生
問題は、友達に迷惑をかけずに少しの間滞在できるかどうか。
まず、職場に近いか交通がいいこと。夜静かに出て行っても大丈夫か(起こさずに出ていけるか)。
それでかなり絞られました。というか、ほとんど一箇所に。
いい場所でしたが、事件発生。
ケラーに泥棒が入り、私のものが一部盗られました。
大事なものはもちろん置いてなかったですが、日本から持ってきた数少ないアクセサリーとか、盗られたら悲しいものを・・・涙
昔はね、オシャレとかしてたんですよ。涙
5.どん底からの・・・
しかし、これ以上悪いことは起きませんでした。むしろ、今までの不運がこの幸運たちを引き寄せたんじゃないかと。
長い間同じ場所でただでお世話になるのは気が引けたので、とりあえず日本人ネットワークに頼ることに。
この親切はマジで一生忘れません。ありがたいことに安く部屋を貸している日本人を紹介してもらい、見つかるまでいさせてもらえることに。
何が幸運かというと、その感謝の気持ちを持ったということ、そしてそのオーナーさんに出会えたこと・・・。出会いは宝です。
さて、ここも住むには問題なかったのですが、オーナーさんがこの部屋を引き払いたいかもしれないとのこと。なので、部屋探しは継続です。
仕事場で相談すると、店頭に広告を貼っていいと言われ、イースターどきだったのでウサギの絵とか描いて貼ったところ、なんと立ったの三日で反応が!!
しかも、彼女は店の徒歩10分圏内に住んでいるという。
はじめの提示された値段が高くて、ちょっとそれは払えない、でもありがとう、と返したら、値段の交渉は後でいいから、とりあえず来ないかと言われました。
値切るつもりはなかったのですが、なんて・・・なんて優しいのだろう。
ちょっとドイツ人不信だったので、本当に感動しました(いいドイツ人もたくさんいますよ!)。
そして、無事、今の安住の地を見つけたわけです。
私にとって本当にラッキーだったのは、助けてくれる人たちがいたこと、そして彼らは人望があることです。こうして私はいい人脈の恩恵を授かったから。
私も今は微々たる力しかないけど、そのうち人を助けることができたらなと思います。
⭐️日本人の人に部屋探しのアドバイスを送るとしたら、日本人好きが行きそうなところに広告を貼らせてもらうことです。例えばジャパレスとか・・・